延岡花物語 2024

慧日山 本東寺(松山町)

2月10日(土)・11日(日)

「慧日梅」と呼ばれる、樹齢240年のみごとな枝垂れ白梅(上画像中央)のほか白梅50本、紅梅5本を鑑賞しながら野点を楽しむ、延岡花物語のオープニングイベント。

慧日梅 観梅会

慧日山(えにちざん)本東寺は、古来、山岳信仰と修験道の霊山とされる行縢(むかばき)山の麓にある行縢神社の神宮寺、真言宗行縢山(むかばきさん)大日寺の別当である甲斐法喬隆覚(かいほっきょうりゅうかく)の開基。その次男の薩摩法印のちの薩摩阿闍梨日叡(さつまあじゃりにちえい)が、日蓮宗に帰依して創建した法花堂を、1335(建武2)年3月23日に本東寺と名付けて開山。日叡上人は、九州出身初の日蓮門下僧として日向・豊後・薩摩に寺院100余を建立し日向国内に法線を広めたことから日向開山と称されています。
境内には宮崎県三梅の一つ「慧日梅」があり、その中に推定樹齢240年といわれる枝垂れ白梅の巨木もあります。境内の片寄角太郎翁の歌碑には「山門を くぐるやがても かほりきぬ 法のみ庭の 白梅の花」と詠われています。

《一服 300円お菓子付き》本堂前のバンコに座れます
《案内受付を設けます》 10:00~16:00
有馬氏延岡藩(当時は縣(あがた)藩)初代藩主有馬直純公の正室日向御前は、幼名を国姫といい、母方をつうじて徳川家康、織田信長のひ孫にあたる。徳川幕府の重臣たちから日向御前と呼ばれたほどの女性で、1646(慶安2)年2月、江戸麻布の藩邸にて53歳で没、法名栄寿院。有馬氏の時代、愛宕山は女人禁制の山だったが、姫は「男が登ってよい山に女が登れぬという法は無い。私が登ってみせる」と言って登ったと伝えられ、延岡では男勝りのおてんば娘を「日向御前」といいます。
延岡藩主牧野公の家臣、享保年間、岩熊井堰用水路を建設し農民の恩人と崇められた。境内墓地の最東の一隅にあり、藤江監物を中心に妻、縫と喜越の墓が左右より取り囲む。藤江家一族や江尻家の墓もある。
延岡藩(縣藩)有馬氏は、1614(慶長19)年に、キリシタン大名有馬晴信公の長男有馬直純公が、肥前日野江(長崎県島原市)から縣に5万3000石で入封したのに始まります。その後、康純公、永純公と延岡(縣)藩有馬氏は三代続きました。
山門を入るとすぐ右側に、高さ3m、幅1mほどの墓が目に入る。康純公(元禄5年死去)、妻(正保2年死去)の墓である。また、永純公夫妻が献塔したと思われる供養五輪塔が左右にある。
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